東日本大震災から5年。
被災地ではきょう一日、亡き人を偲んで、遺族や友人、知人らが深い祈りを捧げることだろう。「その死を無駄にしない」「必ずや復興を成し遂げる」との決意とともに。
その思いを全身で受け止め、私たちも後に続きたい。あの日を忘れない、決して支援の手を緩めない、これからも被災地ともにあり続ける。改めて自らにそう誓いつつ。
震災5年の節目を刻んだ被災現場の風景をどう伝えればいいのだろう。
がれきの山はとうに消え、その跡には新しいまちが生まれつつある。鉄道、道路などのインフラもほぼ整い、災害公営住宅の建設ラッシュも続く。すでに新居で再出発を果たした被災者も少なくない。
膨大な国費を投入した「集中復興期間」(〜15年度)の5年間、「ハード復興」は確実に進んだと、ひとまずは及第点を付けていいのだろう。
問題は「ソフト復興」だ。皮肉にもハード面の復興が進めば進むほど、ソフト面の取組は後回しになっているように見える。仮説住宅での孤独死やアルコール、ギャンブルに依存の被災者が年を追って増えている現実が、そのことを端的に物語っている。
こんな事があった。妻も子も全て失い、今は単身で仮説に暮らす年配者を取材した時の事だ。極度の鬱と診断され、仕事に就くことも叶わないその男性は、能面のような表情でぼそりと呟いた。「復興なんか進まなくていい。」衝撃的な言葉だった。
言動の背景にあったのは、被災のショックに加えてもう一つ、日に日に広がる復興格差への、恨みにもにた怯えと焦りだっただろう。
生活再建を果たして仮説を出て行く人と、そうでない人。「フクシマ」をめぐる内と外の温度差。そうした形で二極分化が進み、弱者がますます弱者となっている。
次の5年、政治はこの一点、すなわち「心の復興」への取組はを格段に強化する必要がある。
今なお避難者17万人超、仮説入居者6万人弱。このうちの1人として置き去りにはしない。その覚悟も深く、公明党は被災者の心の襞にまで寄り添い、支援の汗を流し続けていくことを約束したい。